MeguのYouth&Health研究所

わたしの人生

子供時代の遊びが苦痛の世界

ノンバイナリーになった原因を前回のブログに書いた続きがまだある。

 

女の子の遊びをしたいと言うと祖母に怒られるのだった。そして祖母が見せつけたいおはじきとお手玉の遊びを持ち出されて鑑賞して凄いと言わされる。そんな日常だった。

 

学校に行けば女の子はリカちゃん人形を買って貰ったとか、シルバニアファミリー集めてるとか、ぬいぐるみの話しとか、ビーズや可愛い文具を集めてたり、あやとり、ゴム跳び、私はコミュニケーションの取り方も、そういった可愛いと思えることを家族に与えて貰えなかったので全然話しに混ざれず一緒に遊ぶことがわからずに孤立する子供だった。友達も出来なかったので休み時間は障害がある人の教室に行っていた。障害のある子は優しくておっとりしてたのと普通の教室の子のように何か出来る訳でもないから私は居心地が良かった。それにそこの先生だけは優しい先生だったのも唯一の救いだった。

 

だけど一般教室の子は行かないようにと担任に言われてしまいそこも1年足らずで絶たれてしまって居場所を失って悲しかった。

 

学校での人との遊び方がわからない。

 

家ではどんなことをしていたかと言うと、自転車、セミやトンボやバッタなどの虫取り、カブトムシ育て、カエルの卵やおたまじゃくし探し、オオサンショウウオ探し、他人の家で飼っている豚に草を取ってきて毎日食べさせて時間を潰す。他に男の子とカエルを捕まえて口に爆竹を加えさせて爆破させる。ビビー弾を動物に撃つ。蟻地獄の虫を砂から引きずり出す、トンボの首に紐をつけて散歩みたいにしたり、

 

こんなことをしているのだから、学校に行ったら話が合うわけもなく孤立していつも寂しかった。

 

ある日、家に帰るとモンチッチのぬいぐるみがあった。それだけでも気に入ったが遊んでいると必ず祖母が来て難癖をつける言い方をしてくるのでそれも嫌いになった。

 

ある時、お下がりでリカちゃん人形を貰った。すごく嬉しかったが、祖母の目が気になるようになっていた私は祖母が居る前で出して遊ぶことがもう出来なくなっていたのだ。

女の子の遊びをすると難癖つけられて文句を言われる。だからケースに隠して祖母が居ない時に箱から出して髪の毛を三つ編みにしたりくしでとかしたり、でも祖母の気配を感じると直ぐにしまって寝てる振りをしたりしていた。

 

バス通学をしていたのでそれなりに友達が出来て遊ぶようになった。だけどそれを祖母が嗅ぎつけると友達との仲を壊しにかかるのだ。友達の家に電話をかけてうちの子と遊ぶなと言う。

 

うちに遊びに友達が来たら来たで全て監視されて、帰ったあとにずーっと文句を言われるので友達も呼べなかった。

 

夏休みも、小学生の皆んなでプールに行ったり出来るはずだったのに祖母に友達との縁を全て切られていたのでいつも独りぼっちで、長期休暇は家族と居なくちゃいけない苦しさと、友達が居ない寂しさの苦痛から1人で胸が痛くてよく泣いていた。

 

こんな事を散々繰り返され、友達とも遊べない自由にのびのび出来ない痛みと苦しさに襲われるようになって誰かと遊ぶことをやめていった。

 

家族にも親にも遊んで貰えないのに加えて友達も居ない子供時代を過ごした痛みは大人になっても癒えることはなかった。

 

 

 

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