6才の時に弟が生まれた。
それまでは一人っ子だったのでとても嬉しくて病院に見に行った時は、ガラス窓の外側から我が弟の姿を探した。
見えたのは他の赤ちゃんよりも遥かに可愛い姿の弟だったので、1番可愛いと喜んだ記憶が残っている。
何回も、見に行って1.2.3.4.5と数えて弟の姿が見えるとうわー可愛いーとなる気持ちが私にとって癒しだった。
そして、、、病院に居た時が嬉しさのピークでのちに弟が一生涯を閉じるまでは弟も私も地獄の日常になるのだった。
弟が自宅に帰ると、祖母は念願の男の子が生まれて家の跡取りが出来たことに大喜びだった。だけどこの祖母の喜びと支配は24年後には孫の命を奪うような精神状態にしてゆくのだった。
弟が生まれて直ぐに母親は育児放棄だった。
弟は祖母に大半育てられ、そして半年違いの母親の妹が里帰り出産で実家に来ていてこいつが面倒をみる。
この叔母もまた甥の命を奪う感情を作った女だった。
この叔母の存在が私と弟の人生を陰から奪い続ける悪の支配者だったのだ。
そしてこの叔母も祖母と同様の金狂いの殺人鬼である。
弟はまず、母親が育児放棄をして祖母に面倒をみさせたので祖母の思うツボだった。
長男誕生のお祝いは母親よりも盛大で、子供の日は何処の家よりも大きな鯉のぼりを飾り自慢をする。つまり自分の自慢の為の孫息子となるのだった。
まだ生まれたばかりなのに祖母の想像は田畑をさせて自分を手伝わせるんだと意気揚々になっていった。
祖母は弟にべったり。だから3才位からわたしと弟が遊んでいたりすると嫉妬して引き離すのだった。それから、遊んでいると嫌味を沢山言ってきたりするので、わたしも段々と弟のことが嫌いになったり、だけど、弟だけは幸せになって欲しい思いもあるので複雑だった。
5才くらいになると、祖母は弟への洗脳が始まる。わたしのことを『姉ちゃんは悪い人間だから近寄るな』と言うことを8年もの間ことあるごとに弟に吹き込んで兄弟が仲良く出来ないように引き裂いていくのだった。
弟とわたしは、その洗脳が開始してからお互いにボーダーラインが引かれてしまい、この世を去る日まで一緒に暮らしているのに、気まずさからほどんど会話をすることがなかった。
会話をしていない間はわたしが虐待されてるところを弟は見ているので、家族に逆らわないように、もの凄い大人しい子供になっていた。
弟への虐待も祖母はしていた。弟は愛情不足から指しゃぶりをする子供だった。だけど世間体を気にする祖母は自分が恥をかきたくないからと、指しゃぶりをしている親指にわさびを山盛りつけて、指しゃぶりをやめさせるのだった。
辛いわさびをつけられて大粒の涙を流して泣いてる弟を見て可哀想でやめろと祖母の腕を振り払ったこともあるが、噛みついてこようとされたので弟を守ることも出来なかった。
のちに、指しゃぶりをすると辛いから指しゃぶりはしなくなっていった。
弟はわたしよりも、頭が良かったので祖母の自慢の孫息子だった。学校の成績が良いと近所の人が来た時に、姉ちゃんはバカだけど弟は姉ちゃんより頭がいいんだ。っていつも説明して、兄弟の仲を引き裂いてくるのだった。
わたしはいつも弟を勉強で比べられるし姉ちゃんは悪い人間だと言われるので、もっと口をきかなくなっていった。兄弟なのに一人っ子みたいでもの凄い孤独感が募るのだった。
仲良くしたいけど、心にロックがかかって話しかけられない苦しさ。これは弟も同じだったと思う。
一緒に暮らしているのにお互いが近寄りがたい存在になっていくのだった。
弟はおでこの上に渦巻きがある状態で生まれて、祖母はそれを近所に言いふらして容姿いじりも酷かった。弟もわたしと同じように祖母の好きな刈り上げにされて尚且つわざとコンプレックスになる渦巻きが見えるようにカットさせて近所の人が来た時にそれを話題にする最低な人間だった。
たまにわたしと弟は同じような野球選手のような髪型になったりすることもあった。
母親はそんな私たちのことを守ることもないうえに弟の面倒を見ている記憶がわたしの中にも何一つなかった。
両親は、また罪を犯していたのだ。弟もわたしと同様で好きでもない人の子供を2人で作りまた産んだのだ。
弟も小学生に入った頃から段々と姿が落胆している姿へと変貌していくのだった。頭が良かったから勉強が唯一の支えだったのだ。その支えも姉を馬鹿にする道具、祖母の自慢の為に奪われるのできっと辛かったと思う。兄弟格差を家族がつけてくるのだからたまったもんじゃない。
そして弟が成長していく度に祖母は弟のことを自分の父親のようにしていくのだった。
なので、私が弟に近寄ると父親を取られるかのように嫉妬が激しくなるので益々、裏側で兄弟を引き裂く虐待が耐えなかっのだ。
それから、弟は5年生の時に海外のホームステイに行きたいと行って、頭のいい子は行ける支援があり、祖母はそれに行かせたのだ。
勿論、海外に行かせると近所の人が来た時の自慢の種になるわけで、案の定、オレが孫を行かせてやったんだと言いまくりだった。
だけど、弟はこのホームステイで天国と地獄を味わうことになる。現実の世界では愛情がゼロな世界に対して、海外のホームステイ先はあたたかい愛情たっぷりなところ。自宅に帰ってきて大きく傷つくことになるのだった。
ホームステイが終わってからも、そこでママとなった人から温かい手紙やプレゼントが自宅に届くのだった。
それを見た祖母がまた嫉妬して、手紙とかも馬鹿にして弟に話して聞かせたりするのだった。
遠いとこから手紙なんよこしやがって、いつまでも気に止めてしつこいとか、返事なんか書くなと言って、弟は海外のママとの交流も祖母に引き裂かれてしまうのだった。
弟はそれからも勉強に励むようになって、高校も頭がいい人が行くところに入学したのだ。
それもまた、祖母の自慢の餌食になってしまうのだった。