MeguのYouth&Health研究所

わたしの人生

中学時代の虐め

家庭環境が悪かったのもあり、小学生の頃から友達が出来なかった。

 

と言うよりも、祖母に仲良くする人が出来ると縁を切られていたので、どれが友達なのかが分からなくなって一緒に居る人がコロコロと変わり友達がどれなのかもわからならくなった。

 

いつも独りぼっちそんな感覚が胸を占めていた。

 

そうゆう状態のまま中学に入り部活に入ってからは部活仲間と通学して一緒に居るようになった。1年2年とそんな感じだった。

 

ただ、先輩達がヤンキーだったので部活での後輩虐めも酷かった。目につくと罰を与える為に呼び出しをくらい罵倒される。

毎日、廊下に先輩が居たら直角に腰を曲げて頭を下げる。頭を下げないと呼び出しをくらう。そんな日常だった。

 

1年の時、部活はテニス部に入った。そしたらなんとヤンキーの先輩揃いで入部して顔を見た時に怖くて落胆したのを覚えている。それから先輩が居る部活に行くのは苦痛と我慢と恐怖の日々になっていった。

 

テニス自体は楽しかったけれど先輩からの命令は絶対で、兎跳びやランニングで大きな校庭を長時間走らされて、余りの辛さに体育館の裏に隠れて休んだ。そしたらそれがバレで案の定呼び出しされた後には、ボレーの練習をするといい休んだ罰として直近でボールを打ってくる。それが顔面に当たり尋常じゃ無い痛さを伴う。勿論、顔面に当たれば、ちゃんと取れよ。バカかか、下手くそ、と言われ皆んなの前で笑いものにされることを繰り返すのだった。

 

炎天下の下で何時間もボール拾いをさせられて校庭を見ると蜃気楼が見えるくらいふらふらになって、ストレスで日光病になった。太陽に当たると水ぶくれが皮膚に出来る病気になったのだ。病気で自分を守らないといけないくらい苦痛を味わっていたのだった。

 

先輩達は髪の毛を結ぶゴムの色や靴下の長さ、スカートの長さなどあらゆるチェックを毎日していて、目をつけられると部室に呼び出され罵倒する。生意気なんだよブス。何さまのつもりだ、くそ1年、などと言われて笑われる。

 

呼び出し場所は、他にも非常階段やトイレに呼ばれて先輩達に囲まれてメンチを切られるのだった。勿論、蹴りや頭を押してきたり酷い時はトイレに入れられ頭の上からホースで水をかけられる。本で殴られる、そうとうな虐めや虐待だった。

 

家でも虐待、先生からは暴力、先輩からも虐待。もう辛かった。

 

2年間そんな感じでやっと3年になりヤンキー先輩達が居なくなったと思っていたのに、3年の夏休み明けから、今度は同級生から私への虐めが始まったのである。

 

学校に行くと上履きが無いのだ、探すと1年生の所に放り投げられている。最初はそれが虐めだとは気づかなかったが、次の日もその次の日も続き私が虐めのターゲットにされていることに気づいた。

そしてまた上履きが無い日があり廊下を見たら様子を見に来てる同級生が居たのだ。クスクスと笑って姿を消した。上履きを履いて教室に向かうと私の机が廊下に出されていたのだ。あの笑いはそうゆうことだったのかと思った。

 

その日から虐めはエスカレートしていくのだった。

 

お昼の時間にトイレに行って戻ってくると給食を食べるグループから私の机を引き離されて壁に寄せられている。ある時はまた廊下に机を出されている。

またある日の朝、教室に入ると針を上にした画鋲が椅子一面に置いてあったり、またある時は机と椅子が泡が立っているツバだらけにされていたりした。雑巾で拭くのも気持ち悪さと悲しみでいっぱいだった。誰も助けてくれない。我慢の日々だった。

 

秋に芋煮会というものがあって、その芋煮会の日には、芋煮会用に持っていく米が私のロッカーにぶちまけられていた。1人でそれを片付けているとやった本人が見に来てクスクスと笑って消える。その後に自転車で皆んなと芋煮会場に行く山に向かうのがとても怖かった。秋になっても虐めは終わらない。

 

部活で一緒だった子が私と居るとその虐めをしてくる女に私から引き離しおんぶしてダッシュをさせられたりしていく、その子もわたしと関わってたら虐められると思い、一緒に居ないようにと伝えたこともあった。それから視聴覚室や体育館への移動は全て1人だったので孤独だった。

 

保健体育の授業の時にロッカーに教科書を取りに行くとこんどは教科書のページが全部三角折りになっていた。

 

自分がなんでこんなことをされるのか全く理由がわからない。

 

虐めはもっとエスカレートしていく、体育が終わって着替えて4時間目の授業が終わってからロッカーに行くと着替えた体育着が無いのだ。一体何処にいったのか探しても見つからずに、トイレに見に行ってみたら便器の中にわたしの体育着が入れられていたのだ。皆んなが排泄している水の中に浸かった体育着を素手で拾い洗面台で流す。惨めだった。

 

わたしはもう自分がこんなことをされて笑われて生きていることへの恥の気持ちが湧くと同時に女という生き物に対する恐怖心から人間不信になっていった。

 

精神的苦痛を与えてくる殆どが女性だった為に私は女性恐怖症になっていった。女性が居ると汗が出てきて動悸がして震えてくる。吐き気がする。笑ってる笑顔が怖い。年上と同世代や中年の女達が怖い。女が持つ悪意に満ちたダークな感情が怖い。

 

そして人間不信になり人にビクビクし媚びへつらうようになっていった。

 

そんな自分がとても惨めだった。

 

家に居る家族にビクビクして外の世界の人間にもビクビクする。言う事を聞かないと皆んなから虐待される。そうゆう思考になっていた。

 

私の居場所は世界中何処にもなくていつも孤独で苦しかった。

 

早く死にたくて、満月になると月を見て早く迎えに来て欲しいと一生懸命願った。生きてたくない、地球が怖い、人間が怖い。女が怖い。

 

卒業式まで虐めは終わらずに続いたのだった。外の世界も内の世界も怖くてたまらなかった。

 

このようは経験をして、自分がされて嫌なことは人にわたしはしない、こうゆうような同じ人間にはならない、その思いだけは強かった。

 

 

 

 

 

 

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