MeguのYouth&Health研究所

わたしの人生

感情迷子の子供時代

私の両親は好き同士で結婚した男女ではなかったので子供が生まれても、好きな人の子ではないから一緒に遊んだり何処かに連れて行ってくれたりしなかった。

 

この両親から貰えなかった愛情の数々の出来事がのちにとんでもない苦しみの人生に繋がってしまうともわからずに、、、生きてきた

 

父親はとにかくパチンコと女が好きで、毎週末になるとパチンコ屋や浮気女の家に入り浸るような男だった。

 

家にいると祖母から文句をつかれるので窮屈な為にわたしを遊びに連れて行くとダシにしてパチンコ屋や実家や浮気女の家に遊びに行くのだった。

 

パチンコ屋につくとわたしに先ずは代打ちをさせ、そして店員から注意されるので1000円を渡され外で8時間もの間1人で待たされることが多かった。父親はパチンコに夢中で外で1人で居るわたしのことなど全く心配などしない。そうゆう人間だった。

 

8時間も待つというのは子供の私には苦痛と辛さが体を締め付ける長い長い時間だった。まだ終わらないのかまだかとパチンコ屋に入っては父親を探し、さっきいた場所に居ないとウロウロして姿を探し見つけたら、車に戻ってひたすらずーっと座って待っている。それが苦痛になってくると、今度は歩いてスーパーやコンビニを周り時間を潰す地獄のような時間を過ごすのだった。

 

時には、パチンコ屋には行かずに浮気女の家に向かう。その時は河原で私のことを車から降ろして、ここで待っていろと言われて、浮気女と父親は2人の時間を楽しんだ後に私を拾いにくる。その間のも何時間後に父親が来るのかもわからないから苦痛の待つ時間。子供だったけど川に入って死のうかなと、待っている間はいつもそんな事を思っていた。死ねば楽になれる。もう小学生の頃から死にたい気持ちが芽生えていた。

 

そして父親に6年間そうやって連れ回された。

 

それでも父親について回っていたのは、父親の実家に行くこともあったからだ。父親の母親、私から見たらおばあちゃんは、一緒に暮らす祖母とはまるで真逆で、落ち着いていて品がよく声も優しい人だった。子供と競争したり嫉妬して争ったり怒鳴ったりしない。その雰囲気を見るだけでも非現実を味わえるのだった。

 

だから一緒に暮らしている祖父母と母親と家で一緒に居る地獄の時間と父親と居る苦痛な時間を比べると、苦痛でも虐待する人数が少ない父親の方についてく方がマシだと思っていたのと、父親がわたしを見てくれず父の兄の娘ばかりを見ていることへの愛情不足からついて行ってたこともある。

 

父親の実家では虐待はされなかったが異様な光景は見ていた。それは、父親の兄の妻に父はべったりだった。兄の妻はとても美しく大原麗子若尾文子似の色っぽい女性にそっくりだった。父が実家に通うのは兄の妻に会うためだとも思っていた。私よりも兄の妻とその娘の元へ走る父親。寂しかった。

 

父親の浮気相手の殆どは母親とはまるで真逆の女達ばかり。色気がある女達。子持ちの女、旦那が居る女、飲み屋の女、風俗の女、兄貴の嫁、色々だったが共通していたのは、甘い色気が漂うボディコンシャスな女達だった。

 

ある日の日曜日に珍しく両親が一緒に買い物に行くことになった。わたしは嬉しくて車に乗ったら、2人がどんどん険悪になっていく。

 

母親が父親との買い物に行くのが嫌で不貞腐れているのだ。父親はその不貞腐れた顔を見て怒り出す。

 

当時の私は両親が喧嘩しだすと、喧嘩を辞めさせようとおどけて変な顔をしてみたり、自分を下げて親の機嫌を取ることに一生懸命だった。スーパーにつくと今度は父親が自分の好きな物を買い物かごに入れ出すと、母親は更に不機嫌になりスーパーで喧嘩するのだった。

わたしは、お菓子とか買って貰える期待をしていたが、子供には何ひとつ買ってくれない親だった。終始不機嫌な2人の後ろをついて歩きながら、食べたい物を手に持っては戻すを何度も繰り返し自分の欲求が満たされない苦しみに襲われるのだった。

 

周りを見ると買い物中も仲良く買い物に来ている夫婦、子供が親にこれ買ってとおねだりしる姿を見ると自分とは大違いな現実があることに胸が痛くてとても羨ましかった。

 

わたしは他の人の家に行きたいといつも思っていた。

 

両親とのスーパーへの買い物はその一回が最初で最後になった。

 

のちにまた休みの日に外食に行くことになり出かけたらパフェなるものがあって、初めて見るキラキラとした食べ物だった。食べてみたくて食べたいと言えば祖母から劣化の如く怒られる。そんなもの食うな、クソガキのくせに生意気だ。うどんを食えと食べたいものを選ばせて貰えない。自分の意思は全て踏み潰されるのだった。

ある時また外食に行くとパフェがあり食べたいと言ったら父親が1コ頼んでくれたことがあった。そしたら祖母はそれを見て嫉妬にかられ、子供のくせにそんなもの頼みやがってと怒り出す。父親にもキレ出す。わたしは少しだけ食べて残りのパフェを祖母に渡したのだ。そしたら、全部食べられてしまったのだ。祖母は私に来る関心の全てを奪う人間だった。祖母に怒鳴りつけ罵倒されても両親はわたしのことをかばってくれることはなかったので苦しかった。

 

両親に守ってもらえる経験がないまま、祖母からは常に監視され罵倒されて私に来る関心事を奪い取られるという苦痛を味わう。

 

自分のことを見てほしいけど見て欲しく無いという両方の感情が湧くようになりその間に挟まれ葛藤が起きるようになっていった。

 

人間から関心を向けられる恐怖を感じ同時に関心が向けられないことに絶望する。こんな狭間をずっと生きてきた。

 

気色悪い感情を持つ家族の元に生まれたわたしは、そこから逃げることが出来ず心を殺して生きる毎日だった。

 

 

 

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