MeguのYouth&Health研究所

わたしの人生

ペットを子供に殺させる祖母

とにかく祖父母は、生き物に対して命の重さなど何も考えずに殺す人間なのだ。

 

小学生の頃、家で猫を飼っていて私にとっては唯一の癒しの存在だった。

 

だけど、猫が妊娠して子猫を産むと、可愛い子猫を川に捨てて来い。と言って、殺しの命令をしてくる最低最悪な祖母だった。

 

大好きな猫を殺すなんて出来ない。嫌で嫌で仕方なかったが、川に捨てに行かないと祖母から怒鳴られて虐待されるので、川に捨てに1人で向かうのだった。

 

手の中でミャーミャーと可愛いくなく子猫達。今から川に捨てられて死んでしまうとも知らずに、私はやりたくもないことを祖母にさせられて、猫の命を自らの手で消してしまうことへの罪悪感の苦しみと祖母から受ける虐待の苦しみに挟まれてボロボロと泣きならが川に向かった。

 

川について子猫を川の水につけるなんて強い悲しみと寂しさで出来ない。猫だって大事な命。しかもこんなにも可愛い姿なのに。でも捨てないと祖母に怒鳴られるし草むらに離して見つかれば虐待されるからとても苦しかった。

 

尋常じゃないくらい心の傷みと苦しさが何回も襲ってくる。

 

こんなにもわたしに対して傷みと苦しみを与えてくる祖母のことが本当に怖くて同時に憎くてたまらなかった。

 

わたしは、猫を川に流さないと祖母に怒鳴りつけられるので水に猫をつけて手を離したら泳ぐ事が出来ないからミャーミャー大きな声になって、流れてく姿を悲しすぎて見ていられなくなって泣きながら川に飛び込んで助けてしまったのだ。

 

ごめんね。ごめんね。本当はこんなことしたくないのに、ばあちゃんに怒鳴りつけられるんだ。と言いながら、ボロボロと涙を流して何回も誤った。ずぶ濡れになったまま子猫を抱いて土手にずっと座り込んでいた。段々と夕方になってきて祖母にいつまでも何やってんだクソガキと探しにくる様子が頭に過ぎる。祖母が畑に居る間に帰らないと見に来て怒鳴られる。それを想像すると怖くて仕方なかった。

 

わたしは、胸が引きちぎられるくらい傷みの中で子猫を川に流して、鳴き声が聞こえても今度は一回も後ろを振り向かずに下を向いてボロボロ泣きながら歩いて家に帰った。

 

耳に残ったミャーミャーと泣く声が取れなくて、胸が苦しい。半分、ノイローゼになっていた。

 

濡れた洋服は水遊びしたことにして、泣いた顔を見せるとまた祖母に怒鳴られるので顔を下に向けたままにした。

 

祖母は、捨ててきたのか!と聞いてきてうん。と言うと嬉しそうにしていた。

 

わたしのことを最大限に傷つけれたことにさぞかしご満悦だった。

 

わたしは、家の中に入ってから頭から鳴き声が止まず子猫がどうなってしまったのか心配で心配でたまらなかった。溺れて死んでないか、もしかしたら土手に引っかかって生きてるかもしれない。なんで大好きな猫を自分が殺さなくちゃいけないんだ。罪悪感の意識に囚われて心が締め付けられた。

 

その苦しさから次の日もその次の日も子猫を探しに川に見に行った。下流を下がりかなり歩いて探した。でも何一つ姿がなくてきっと流されてしまったんだと思い諦めた。

 

母親に祖母から猫を殺させられて嫌だったんだと話しをしても、お母さんだって捨てさせられてきたんだから知らねえ。と言われたのだった。

 

私の心の傷みをわかってくれる家族はこの血族には1人も居なかった。家族の感情が怖い。人間の感情が怖い。

 

わたしは、幼少期から祖父母達が気にくわないと動物の命を平気で殺す場面や乱暴な扱いをす場面を見てきていて、祖父に関しても野良猫が納屋で死んでいると私を呼びつけて見てみろと言い、死んだ猫を蹴飛ばして私に渡してきて片付けろと言ってきたり、父親も庭で猫を車で引いて私に見て来いと言いつけてきて自分でみようとするなどしない。

 

大好きな猫に対する悲しみを沢山与えてくる大人達。

 

猫に限らず飛んでる鳥を捕まえて首をへし折り紐で吊るしていたりする。

 

子供に苛立つと木に縄で括られたり、真っ暗な納屋に監禁される。納屋の中には蜘蛛や虫やネズミが居て真っ暗で見えないから顔や頭になんかひっついたりして臭い。地獄だった。納屋に監禁される時は、出してー出してーここから出してーと声が枯れるまで叫ぶ、ぐったりするまで叫び続けてから納屋から出されるのだが、ざまーと言われるのだった。

時には家屋の鍵を全部かけられて家の外に出されて、玄関をグーで殴りながら入れてよ中に入れてよーと叫ぶ。必ず悪いことをするとまたやるからなと言われるのだった。

 

悪いことと行っても5時のサイレンより少し遅く帰ってきたとか、ほんの些細なこと。それで虐待されるのだった。

 

大人に逆らうとこうゆう怖い目に遭わせるから逆らうなというメッセージを突きつけられる日常だった。

 

そんな人間と一つ屋根の下で暮らすことやずっと身内として一生涯繋がっていることが途方もない苦しみと恐怖だった。

 

わたしの親族及び家族は現代で言うマキャベリストナルシシズムの虐待者である。