MeguのYouth&Health研究所

わたしの人生

家族に誕生日を祝って貰うことがなかった

精神虐待家庭育ちの半生

 

幼稚園に行くようになると

 

お誕生日会なるものが幼稚園で出てきた。わたしはそうゆうことは家族にしてもらったことがなかったので、初めて触れる感覚だった。

 

だけど、人を祝ってあげることも自分が祝われることもよくわからなかった。

 

幼稚園では、親への通達書面でおやつの準備をするように連絡が行っているので、あげるお菓子の準備をしたのだけれど、プレゼントを渡す時に他の子は中身が見えない袋だったり箱などにプレゼントが入っているのに対して、私が親に持たされたのは、スーパーで売っている駄菓子を包装しないそのままだった。

 

誕生日の子が中身が見えないプレゼントを開けて喜んだり皆んなに見せたりしてるのに、私があげたものは丸見えだから普通にただお菓子を渡しただけ。みたいな感じで喜ぶとか何もなくて心だけなんだか苦しかった。

 

自分の誕生日月にも今度は貰える立場になり嬉しかった。でもどう喜んだらわからなかったので隠してしまったのだ。

そして、家に帰って、祖母に見せると、、、何貰ったんだ、ばーちゃんに全部よこせ。こんなもの貰いやがって、貰ったものは全部持ってきてばーちゃんによこすの、わかったか。と怒鳴りつけられ取り上げられるのだった。とてもショックだった。

 

学校に入ってもお誕生日会があるのと、段々と皆んな家族からこんなの貰ったと見せてきたり言ってきたりするので、

 

わたしも親から誕生日にプレゼントが欲しい。お祝いして欲しい。その気持ちが湧くようになった。

 

そして、自分の誕生日が来た時に、親に誕生日プレゼント欲しいと言ったら、親の返事にガッカリするのだった。

 

はぁ?誕生日あんたのお祝いをなんでお母さんがしなくちゃいけないんだ。やらない。自分で勝手にしてろ。しらねー。あっち行け、うるせー、と言われる。

 

すると、祖母もそこに口出ししてきて同じことを言うのだった。

 

お前が、学校で誕生日会してるんだから、お前がばあちゃんやお母さんを祝え。と言うのだった。

 

そして、学校での誕生日会をきっかけに、祖母は自分の誕生日になると私に誕生日を祝え何か持ってこいと強要してくるようになったのだ。

 

何もやらないと、こっちは面倒を見てやってるのにこのクソガキはなにもオレにしねーで、飯食いやがってと言う。

 

そして、近所の人が来た時に、あんたの家の孫ちゃんは、いいなー誕生日のお祝いする孫で、うちの孫なんてなーんにもしねーんだ。可愛くねー孫なの。あんたの家の孫はめんこいな。と言うのだった。

 

小、中、高、成人、ずーっと言われ続けた。

 

働くようになると、こうしてやったああしてやったと言い、見返りの要求はもっと激しくなった。

 

幼少期からずっとうちの孫は何もしてくれないと言われ続けてきたので、苦しくなって洋服を誕生日に買ってあげたのだ。

 

あげたらあげたで、こんな色は似合わない、小せー、若いだ、派手だ、生地が薄いだのと全てにおいて文句を言って一度も着ないのだ。

 

 

そしてまた、近所の人が来るとうちの孫は未だに誕生日も敬老の日も、クリスマスも何もしてくれないと、私が居る前で言うのだった。

 

こうゆうことは、誕生日、敬老の日、クリスマスに、毎年毎年、繰り返すのだった。

 

そんな精神的苦痛を何十年も繰り返していくうちに自分の誕生日があることが辛くなるようになっていった。

 

自分の誕生日を無視され歓迎されないことから、

 

自分の誕生日が、この家族の元に生まれた苦しみの始まりの日というイメージになってトラウマになってしまったのだ。

 

 

私の時代は、面倒をみてくれた親に感謝するのが当たり前という概念だったので、酷い目に合ったことを誰かに言っても、育てて貰ってご飯も食べさせてくれたんだからそれは愛があるからだと言われる、だから感謝しなさい。という言葉が返ってきて、あんたの考えが悪いと言われる為に逃げ場も居場所もなかった。

 

愛なのに苦しい。愛なのに死にたくなる。

 

今ならこんな感情はおかしいと思えるが、当時のわたしはバグっていて訳がわからなくなっていた。

 

令和になってからは、子供を大事にしない親を大事にする必要はないとはっきりしているので、本当にそのとうりである。

 

子供の感情に喜びを与えず深い傷を負わせトラウマを作り続ける家族や親は頭がおかしいと言える。

 

私は家族や両親に誕生日を祝って貰うということを経験することなく大人になった。