MeguのYouth&Health研究所

わたしの人生

拒食症を発症した人生

現代に生まれたのに私が生まれた場所はまるで原始人か何かのような自給自足的な暮らしだった。

 

超貧乏で、家屋は風が吹けばガタガタと揺れる。

 

そんな、家での食事は主にカエルだった。祖母が調理を殆どしていて、今日はカエルだから捕まえてこいと言われ、食用カエルを捕まえに行く。捕まえたら祖母に渡してそれを裁きガスコンロの魚焼きの中に入れる。が、火をつけると熱いのでカエルが飛び跳ねるというホラーが起きる。

 

貧乏なのでおやつとかもなくて、おやつは自給自足、さつまいも、アケビや木苺、秋は栗や柿、イナゴ、グミなどを山に取りにいっておやつにしていた。

 

何も収穫が無い時は、蜜が溜まっている草の花びらを抜いて蜜を吸う。花が無い時は酸っぱい草があるのでそれをかじる。

 

学校に入った時に、給食というものが出てきてカルチャーショックを受けた。家では出てこない色んなおかず。ハンバーグやナポリタンにパンにデザートが出てきた。

 

だけど、普段が原始人のような食生活だった為に、給食を食べても時々激しい動悸や吐き気に襲われて食べれない。普通食の耐性が体に無かったのだ。

 

その中でもナポリタンはとても美味しかったり、パンが美味しかったり、そのうち、私に起きたことは、家と学校の食のギャップ。

 

家に帰ればカエルやドジョウ、人糞で育てた野菜を、全員で取り合ったり無理矢理食べさせられたりする食卓で大人達の会話の全てが他人と我が子への悪口。

 

それに比べ学校に行けばキラキラとしたご飯がお盆に乗って自分の分がある食べ物。

 

他に、祖父母が動物の様な食べ方をする人間だった。カレーなど皿についたものは全て舌で舐める。味噌汁や食事を落としたら手で取るのではなく地面に顔面をつけてこぼした食べ物を食べる。

 

祖母は、食が細くなったわたしに対して他の家の子供より食べないことが面白くなくて、私の口に無理やり食べ物を押し込め虐待する。

 

弟が離乳食になった時には、すり鉢を使うのではなく、自分の口の中で咀嚼した食べ物を口から出して与えていて、わたしもそうされていたことを知ってゾッとして全身に気持ち悪さと辛さが走った。

 

学校の先生からも給食を食べきらないと6時間目までずっと食べさせられたりする大人世代の虐め。

 

なにもかもの全てが苦痛で怖かった。

 

そのうちにご飯が喉を通らなくなり給食病を発症。一ヶ月間給食を食べなかった。そして親が学校によばれた。私が給食を食べないことを心配するよりも自分が仕事を休んで先生に呼びつけられたことに激怒して、祖母にチクリ2人から劣化のごとく怒られたので、デザートだけ食べるようになったのだがもう既に拒食症になってガリガリになっていった。

 

そして拒食症の人生が始まった。

 

思春期になるとホルモンの変調から太ると、祖母から執拗にデブ、尻デカ、太ももが太い、など、3段腹の祖母に散々罵られたが為にダイエットしなくていいのにダイエットをしたり散々だった。わたしさえ生まれてこなければこんな目には合わなかったのにと自分を責めた。

 

拒食症で1番痩せた時は37㌔だった。37㌔代は数回繰り返していたが、最後に37㌔になった時は生命危機だった。

 

わたしはこれで死ねるとどこかで期待していたが人間の体とはしぶといもので、点滴を打たれて生き延びてしまった。

 

その時の悲しさと落胆は計り知れなかった。人間を辞めて楽になりたかった。でも助けられてしまう自分にも心底ガッカリしたり、

 

のちに、拒食症専門の心理士の先生に出会う。

 

拒食症の原因は愛と愛情の欠乏だということを自己理解するところら始まり、自分は家族の誰からも愛情をひとつも貰えなかった子供時代を過ごしたからずっと辛かったんだと理解が出来た。

 

ただ理解しても体中に愛情が無い為に何度も拒食症を繰り返して2021年も2ケ月で10㌔の激痩せを引き起こし毎日、点滴に通う日々だった。

 

その間も拒食症の心理治療を受け続けていくうちに、いつの間にか拒食症が起きなくなって体重も増えていった。拒食症の症状が治るまでのカウンセリングに3年を費やした。

 

拒食症の元凶は愛と愛情の欠乏。

愛情が無い人間の所に生まれるということは生きるうえで辛く過酷なものである。

 

 

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